やせっぽち寄稿文

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RADWIMPSが描く『カッコいい弱虫』について ~芥川龍之介との比較で読み解く世界観~


つい先日、私が大学の文学言語学の講義で芥川龍之介について説明を受けていた時、教授がふいに興味深い話を始めた。

「『天気の子』の主題歌歌ってたRADWIMPSってバンドがありますが、『WIMP』ってどんな意味か知ってます?」

あまりに唐突に言われたものだから、RADWIMPSを愛してやまない私は耳を疑った。と、同時に「弱虫!!」と叫んでやろうかと思ったのだが、さすがに自重した。

 

「WIMP」「弱虫」「意気地なし」のこと。

RADWIMPSは和訳すると「カッコいい弱虫」「見事な意気地なし」みたいな意味だ。

そして詳しくは後述するが、教授曰くかの文豪・芥川龍之介が小説で描いていたのはまさにその人間のみっともない弱さであり、ありのままの人間らしさ、すなわち「WIMPS」であったのだという。

今を時めく人気バンド・RADWIMPSと一世紀も昔の小説家・芥川龍之介の作風には、実は似たような構図があるのではないか、というのが教授の持論らしい。

もっとも、教授はRADWIMPSの楽曲をちゃんと聞いたことが無いらしく、この考えはバンド名を聞いた時に思いついた仮説にすぎないらしいのだが、1RADWIMPSファンとして見てもなかなか面白い考えだ、と私は思う。

そこで今回は簡単に、芥川龍之介RADWIMPSの世界観を照らし合わせてみることとした。

きっちりとした論文では決してなく、単なるファンの考察にすぎないのだが、少しでも皆さんに楽しんでいただければ幸いだ。

 

 

 芥川龍之介の作風

かの文豪、芥川龍之介。『芥川賞』に名前を残していることからも明らかだが、文学界に多大な影響を及ぼした日本を代表する文学家だ。

そんな彼の小説、とくに初期の作品の中には、醜い人間の内面、特にエゴイズムを描いたものが多くみられる。その最たるものが彼の代表作「鼻」だ。あらすじは以下の通り。

池の尾の僧である禅智内供は五、六寸の長さのある滑稽な鼻を持っているために、人々にからかわれ、陰口を言われていた。内供は内心では自尊心を傷つけられていたが、鼻を気にしていることを人に知られることを恐れて、表面上は気にしない風を装っていた。

ある日、内供は弟子を通じて医者から鼻を短くする方法を知る。内供はその方法を試し、鼻を短くすることに成功する。鼻を短くした内供はもう自分を笑う者はいなくなると思い、自尊心を回復した。しかし、数日後、短くなった鼻を見て笑う者が出始める。内供は初め、自分の顔が変わったせいだと思おうとするが、日増しに笑う人が続出し、鼻が長かった頃よりも馬鹿にされているように感じるようになった。

人間は誰もが他人の不幸に同情する。しかし、その一方で不幸を切り抜けると、他人はそれを物足りなく感じるようになる。さらにいえば、その人を再び同じ不幸に陥れてみたくなり、さらにはその人に敵意さえ抱くようにさえなる。

鼻が短くなって一層笑われるようになった内供は自尊心が傷つけられ、鼻が短くなったことを逆に恨むようになった。

ある夜、内供は鼻がかゆく眠れない夜を過ごしていた。その翌朝に起きると、鼻に懐かしい感触が戻っていた。短かった鼻が元の滑稽な長い鼻に戻っていた。内供はもう自分を笑う者はいなくなると思った。

Wikipediaより引用 鼻 (芥川龍之介) - Wikipedia

ここからは講義で教授から伺った話の受け売りになってしまうが、この作品では人間の醜さというものがふんだんに描かれている。人の幸福をねたみ、不幸を笑う。

何でも当時の芥川はとある恋愛問題、家族からの反発などの影響で、人間の持つ醜い部分を身をもって痛感していたらしい(詳細は割愛させていただく)。周囲は醜いし自分自身も醜い、と考えるようになった。だからこそ「鼻」でも人間の醜さに焦点を当てている。

しかし、「鼻」という作品は醜さだけを描いているわけではない。

鼻が短くなって周囲に笑われるようになった内供は、鼻が再び長くなった小説の結末で、”もう自分を笑うものはいなくなるだろう”と考えている。

しかし果たして本当にそうだろうか。再び滑稽な鼻に戻れば、人々はより一層笑うのではなかろうか。そして仮に表立って笑わなくなったとして、人々が彼を蔑むという構図は変わらないのだから事態は何も解決していないのではないか。

ここに芥川の描いた人間の人間らしさ、みっともない弱さ、すなわち「WIMPS」が現れているのだ、と教授は語る。

芥川は当時の書簡で、この「鼻」を”愉快な小説”であると語っている。人間の醜さだけを描いたならば、それは決して愉快な話にはなりえない。

こんなに世界は醜いにもかかわらず、それを受け入れる勇気もなく、愚かにも「もう自分を笑うものはいないだろう」なんて思えてしまう弱い人間の姿こそが、彼にとっての”愉快な小説”だったのだ。

芥川は書簡のなかでこうも語っている。

僕は霧を開いて新しいものを見た気がする しかし不幸にしてその新しい国には醜い物ばかりであつた 僕はその醜い物を祝福する その醜さの故に僕は僕の持つている、そして人の持つている醜い物を更にまたよく知る事が出来たからである 僕はありのままに大きくなりたい ありのまま強くなりたい

(中略)

死ぬまでゆめをみてゐてはたまらない。そして又人間らしい火をもやす事がなくては猶たまらない。あくまでHUMANな大きさを持ちたい

大正4.3.12書簡

 人間の持っている醜さは痛いほどわかっているが、それを持ったまま、人間らしく強くなりたい。死ぬまで夢を見ていては仕方がないが、人間らしくなくては我慢ならない。

 醜いけれど、あくまで「弱虫」「意気地なし」でそれでいて憎めない、愚かな人間らしさ「WIMPS」こそが彼の描いた世界なのではなかろうか。

 

 

RADWIMPSの世界観

ではRADWIMPSの世界観がどうなのか、ということを考えてみると、全く同様の構造があるとは言えないにしろ、少なからず似通っている部分はあるのではないかと私は考える。

RADWIMPSの作品にも、人間の醜い部分はたびたび描かれる。芥川作品のようにエゴイズムが直接的に描かれた楽曲は私の知る限り存在しないのだが、人間の惨めで稚拙な行為が描かれた作品はいくらかあるし(おしゃかしゃま、DADA、実況中継 etc...)、その他の楽曲でも歌詞の裏側には人間の愚かさが潜んでいるように思う。

彼らのため息と悲鳴と端ぎ声と
すべて吸って綺麗な明日を吐き出す
そんな木に生えるは
人の姿 形した なんとお呼びしましよう
この悪寒をこの菌を

(中略)

世界は疲れたって僕にはもう無理だって
宇宙の寂しさの方がマシと
その手を振りかざしてら 

 カイコ 作詞 野田洋次郎

人はいつだって 全て好き勝手 なんとかって言った連鎖の
上に立ったって なおもてっぺんが あるんだって言い張んだよ

 おしゃかしゃま 作詞 野田洋次郎

 彼らの楽曲で描かれる人間の醜さは、芥川の作品のような対人的な醜さというよりも、地球や生命といった絶対的な存在を前にした時の人間の醜さである。”ヒトという生物としてのエゴイズム” だ、ということもできるかもしれない。

世界で好き勝手ふるまって、あらゆる自然を破壊しておきながら、未だに悲しいだの辛いだのと騒ぎちらし、神がなんだと言って争いあっている。自らが作り上げた兵器で自らを滅ぼそうとしている。どうしようもなく醜い、地球の癌としての人類の姿。

焦点こそ異なるものの、芥川同様に人間の醜さを描いていることは間違いないだろう。

 

しかしRADWIMPSの楽曲もまた醜さだけを描いているのではない。

彼らの描く人間はどうしようもなく愚かな存在でありながら、どうしても憎むことなどできない人間らしさを抱え込んでいるのである。

 

60億個のほんのちょっとの愛と平和とその優しさで
どれだけキレイな世界になるか俺は見てみたいの
今、今、まさにこの今 何かすりゃ変わるかもしれんやんけ
これだけ醜い世界でも俺は生きて笑っていたいの

  ジェニファー山田さん 作詞 野田洋次郎

六星占術だろうと 大殺界だろうと 俺が木星人で 君が火星人だろうと
君が言い張っても
俺は地球人だよ いや、でも 仮に木星人でも たかが隣の星だろ?
一生で一度のワープをここで使うよ

 ふたりごと 作詞 野田洋次郎

これらの楽曲で描かれる登場人物は、言ってしまえば呆れるほどに愚かである。人間は所詮運命には抗えやしないし、一人がなにか変えようと唄ったところで大抵何も変わりやしない。まして君は火星人ではないし、一生で一度のワープなどあるはずがない。

芥川の「鼻」の結末と同様の、愚かな考え方だ。

しかしそんな登場人物の姿勢に共感し、歌詞に胸を打たれるのはきっと私だけではないはずだ。

醜いかもしれないけれど、人間らしさが溢れている。醜い現実をすべて受け入れては生きることができない、弱虫で意気地なしの人間だ。

あるかどうかもわからない希望に必死に縋り付こうとする人間だ。

しかし、だからこそ彼らの楽曲は美しい。

 

何もない僕たちに なぜ夢を見させたか
終わりある人生に なぜ希望を持たせたか

なぜこの手をすり抜ける ものばかり与えたか
それでもなおしがみつく 僕らは醜いかい
それとも、きれいかい

答えてよ

  愛にできることはまだあるかい 作詞 野田洋次郎

弱虫で意気地なしで、目には見えない夢や希望にそれでもなおしがみつく、私たちの人間らしさは醜いか。

芥川龍之介「死ぬまでゆめをみてゐてはたまらない。そして又人間らしい火をもやす事がなくては猶たまらない。」

RADWIMPS「カッコいい弱虫」「見事な意気地なし」

なるほど、芥川の作風と通ずる部分が少なからずあると私は確信している。

 

 

余談

完全なる余談になるが、RADWIMPSのボーカル・野田洋次郎と芥川龍之介の容姿が若干似ているらしい。

芥川龍之介と野田洋次郎は似ている?| そっくり?soKKuri?

言われてみれば多少似てるかも…くらいのレベルだが、気になる方は参考までに。

 

 

おすすめ記事はこちら

www.slight-article.work

 

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